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天から降り注いだ雨が地表に集まり、小さな流れは、彼方を目指す。やがて、その流れは、ゆっくりと時間をも押し流し、大海で解放される。そして、再び天に帰っていく。川は、流れている。出口を求めて。
マレーシア。東海岸北部の都市、コタ・バル。
その日の朝も、いつもと同じように、イスラム教徒の男たちが集まる、大通りに面した小さなレストランで、私は朝食を済ませた。一皿の薄いカレーと、小麦粉を焼いたロティチャナイ。テー・オー・コソンと呼ばれるストレート・ティ。最も安く、最も一般的なイスラムの朝食。不愛想なウエイトレスに追い立てられ、あわただしく店を出ると、私の足は、川へと向いていた。
この街に来て一週間。そろそろ、次の目的地へと出発しなければならない。そのまえに、市内を流れる川辺を、散歩しようと決めていた。川には、水上生活者の住居地帯があるのを、私は知っていた。ホテルで知り合った大学生と、午後、市場へ買い物に行く約束をしていたが、時間は、まだある。
川へ、行こう。
川の水と、海の水が混じり合う場所を、マレー語で「クアラ」という。私は先日、マレー人の青年から教えられていた。
人々はクアラに集まり、村を形成していった。昔の人にとって、クアラはとても住みやすい土地だったのだそうだ。生きるために必要な水が確保でき、食料となる新鮮な魚介類も豊富に取れる。川を水路に人々が行き来し、遠く内陸の作物を手にすることができたのかもしれない。
クアラ・ルンプル、クアラ・トレンガヌ、クアラ・ラピス、マレーシアにはクアラが冠された都市が多い。
私の貧しい語学力では、その全てを理解することはできなかったが、彼は、いろいろ説明してくれた。 私は川を目指して大通りを歩く。中国系マレーシア人が経営する古い商店街や、大きな銀行を通りすぎる。建設中の巨大なビルの横を抜けると、川が見わたせた。
とても広い川幅。海が近いことを感じる。にごった茶色の水は、ゆっくりと流れている低くたれこめている灰色の雲と、まるで混じり合っているかのようだ。対岸は緑に覆われている。小さな村の存在が、やしの木の間からのぞく、家々の屋根でわかる。
ここが、クアラと呼ばれる場所なのかどうか、私にはわからなっかた。けれど、この広々とした土色の川は、「クアラ」という語感に、ぴったりと合った。
クアラ。川の水と、海の水が出合うところ。
こちら側の川岸には、ずらりと水上生活者の家が並んでいる。いかだの上に建てられた木造の家。いかだは、太いロープで、地面にしっかりと固定されている。電気も引かれているらしく、黒い電線も、建て物と陸地の電柱をつないでいた。
私は、途切れた道路から、不器用に造られたコンクリートの階段を、ころばないように気をつけながら、一歩一歩降りていった。水辺に着くと、そこは行き止まり。右にも左にも、進めそうになかった。途切れた道が、行く手をはばむ。私は、もっと進みたい。歩き続けたい。
「エクスキューズ・ミー」
少年がふたり、私の横をすりぬけていく。彼らは次々といかだに飛び移りながら、はるか下流へ行ってしまった。
散歩を続けるために、私が彼らと同じように、いかだに飛び移るのは、どうも具合が悪いように思われた。
いかだといかだの間隔は、結構広い。不慣れな私が飛び移るのは、困難そうだ。それにここの住人全員が、自分の家に帰るたびにぴょんぴょん飛んで、全ての家を揺らしいるとも考えにくい。
私はコンクリートの階段を、降りてきた時と同じように、慎重に登り始めていた。
建設中のビルの反対側にある、中国名の海鮮レストランの角を曲がる。そこには、人々が集まり、小さなパサール、市が立っていた。
老女たちが道端に座り込み、小魚を入れたざるや、足を縛られた生きたニワトリ、葉物の野菜を並べている。そのまわりを、バイクで駆けつけてきた男たちや、近所の主婦であろう女たちが取り囲む。
女たちは、朝一番に、メインの市場で買い物を済ませた帰りなのだろう、誰もが大荷物だ。それでもまだ、めぼしいものがないかどうか、真剣に品物を見比べたり、値段交渉したりしている。
そんななかを、私は人波をかき分けて進む。皆あからさまに、けげんそうな顔をこちらに向けた。
よそ者。そんな感じである。
確かに私は、招かれざる侵入者。
突然ひとりの男が、私の目の前に、ニワトリを差し出した。
「二羽で、十リンギ」
男は叫ぶ。冗談?けれど、男の顔は真剣だ。私のような外国人旅行者に、本気で生きたニワトリを、売ろうとしているのだろか。私は生まれてこのかた、生きたニワトリを料理したことなど、一度もないのだ。それに十リンギというのは、尋常な値段なのだろうか。約六百円。私の一泊の宿泊代と、同額だ。
男の顔を見ているうちに、私は真剣に考え込んでしまった。
一瞬、売り買いしている人たちの手が止まり、あたりがしん、となった。
「ほしくありません」
私は、たどたどしいマレー語で答えた。
「ちゃんとした、マレー語だ」
男はうれしそうに叫んだ。
今まで、事の成り行きを見守っていた人々は、納得したようにうなずき合った。みんな笑っている。男も笑い、私も笑った。
さっきまで、ぴんと張っていた空気が、ゆるんでいるのがわかる。よそ者、という感じは、私の中からふきとんだ。私は、皆に気軽に挨拶すると、小さな市場をあとにした。
おだやかになった、私の気持ち。そんな気持ちが、私の身体を、見知らぬ路地へと連れていく。
T字路の突き当りを左に曲がり、低い石垣に沿って歩く。もう一回左に曲がると、川に沿った小道に出た。人に踏みしめられてできた道。やっと人がひとり通れる道。ずっと下流まで続いている。いかだの家には、細い板や丸太で、簡単に渡れるようになっていた。
私は石垣に腰掛けて、ぼんやりと川を見る。川は、ゆっくり流れている。
茶色の川は、決して美しいものではない。万人の心をとらえるものではないと、私は知っている。けれど、川のある街で、子供時代をすごした私にとって、川には、センチメンタルな思い出がある。
センチメンタルな思い出?それだけではない。混沌とした不安をかかえていた幼年期にも、なにかが引き裂かれそうになった十代の頃にも、川は私の存在を認め、包み込んでくれた。
私に力を与えてくれる自然。川には、意味がある。特別な意味がある。誰もが、そんな「特別」を、こっそり持っているにちがいない。
ふと、川に浮かぶ家のドアの中から、ひとりの少女が、私を見ているのに気づく。四、五才の女の子。かたわらには、父親らしい男も立っている。
少女は、笑っている。微笑みが、私を引き寄せる。

私は、少女にむかって手を振った。あなたと、友達になりたいです。彼女も、私に手を振り返す。けれどその直後、はずかしそうに、父親のうしろに身を隠してしまった。
私は石垣から立ち上がると、泥を踏み固めて作った道を、滑らないように注意しながら川岸へと降りていった。
父親は、四十才ぐらいだろう。浅黒い肌で、腰にダーク・グリーンのサロンを巻いている。丸い顔にヒゲ、少しとび出したおなか。やさしそうな彼は、よきマイホーム・パパといった感じだ。自慢の娘を私に見せるため、隠れている少女を、前に押し出す。
「ここに、すわって、いいですか」
私は、家と陸とをつなぐ、細長い板の上にいる。父親は、笑いながらうなずき、再び少女を私のほうへ押しやると、家の中へ消えていった。
少女はパジャマのような、薄い生地の長ズボンをはいて、上半身は、何も身に付けてない。首には、小さなコインをかたどった、金色のペンダントをさげている。素直そうで、そして少しはにかんだ笑顔は、とてもかわいい。
「わたしのとなりに、すわって、ください」
私が頼むと、少女は今度ははずかしがらずに、ちょこんと座った。私たちは足をぶらぶらさせ、互いに顔を見つめ合う。家が小さく揺れ、私たちも、同じように揺れた。
私は自分の名前を告げ、日本から来たことを説明した。そして、少女の名前を尋ね、いくつか簡単な質問をしたが、彼女の使う言葉は幼児語なのか、全く理解することができない。
私が困っていると、少女は家の中にむかって、なにか叫んだ。すぐに小学生ぐらいの女の子が、現れた。
「おねえさんですか」
私が聞くと、ふたりはこくりとうなずいた。この少女も妹と同様に、笑顔が印象的だ。妹よりおとなびている分、淋しそうな、おとなしそうな、「静」のイメージを作っている彼女たちは、学校のこと、遊びのこと、家族のことを話してくれた。
「おじいさんは、一日中テレビをみています」
姉は、おもしろそうに話してくれた。妹は、ビーズを細工して造ったおもちゃを、見せてくれた。私は川について、尋ねてみる。
「魚を釣ります。洗濯をします。お皿を洗います。水浴びをします。昔からです」
姉は、わかりやすい言葉で答えてくれた。
私たち三人は、足をぶらぶらさせながら、しばらくそこに座っていた。会話が途切れても私たちは、昔からの知り合いのように心を通わせ、くつろぐ。川の水も、時の経過も、私たちの心のようにゆっくり流れている。
「家の中にどうぞ」
私は誘われた。小雨が降ってきたのだ。私は、この子供たちに囲まれて、居心地のいい時間をもっと持っていたかった。けれど、友人との待ち合わせの時間が、せまってきた。
「家の中にどうぞ」
姉は、もう一度誘う。いつの間にか母親も現れて、手招きする。妹は、母親の手をつかみ、私の顔をじっと見ている。
「ありがとう。でも、ともだちが、わたしを、まっています」
私は立ち上がった。
「あとで、また来る?」
「はい。いいですか」
姉妹と母親は、微笑みながら、うなずいた。
私は、自分がカメラを持っている事に気づき、親子にむけた。母親は、笑いながら手を横に振ると、奥に引っ込んでしまったが、姉妹は並んで、私の前に立った。
その日の夜、私はホテルの従業員に、いくつかのマレー語の意味を尋ねてみた。妹が発していた言葉だ。それは幼児語ではなく、このあたりで使われている方言だった。姉は、標準的なマレー語で伝えてくれていた。私の知っている単語ばかりで。まるで、私の知っているマレー語の語録のすべてを、把握しているかのようだった。
勉強が好きで、学校の先生になりたいと、言っていた彼女。必ず、なれるよ。私は、つぶやいた。
私は、いくつか方言を、ホテルのフロントで教わった。今度は方言を話して、あの子たちをびっくりさせてやろうと、準備した。
次の日の朝も、私はカレーとロティ・チャナイ、テー・オー・コソンで朝食をすませ、川に、向かった。写真を届けるために。昨日のうちに、一時間のスピード・プリントで、フィルムを現像しておいた。そして、なにより、また会いにいくという、約束を果たすために。私は、早足で歩く。
海鮮レストランの角を曲がる。昨日の場所に、市は立っていなかった。がらんとした路地には、誰もいない。石垣を左に曲がると、姉妹の家が見えてきた。
私は、なぜか急いでいた。なにかが、私の背中を押す。もう、誰にも会えないような、そんな気がする。
川の水は、相変わらず、ゆったりと流れている。ここは、クアラ。昔からの生活が、続いているところ。急いでいるのは、私だけだ!
そう思った瞬間、私は滑って、しりもちをついていた。昨日の雨で泥の道は、ぬかるんでいたのだ。
そして、予感は的中した。ドアをドンドンとたたく。誰もいない。ドアを開けてみる。家の中は、からっぽだった。いつも、一日中、テレビを見ているはずの、おじいさんもいない。私は写真を一枚、家の中にそっと置くと、静かにドアを閉めた。
下流に続く道を、のろのろと歩く。水上生活者の家が途絶えたところで、道も終わっていた。私の散歩も、ここで終わりだ。
川の水と、海の水が混じり合うところ。それが、クアラ。
私は、川に誘われて、ここまで来た。出会った人は、川の水。私は、遠い国から来た海の水。川は確実に、全てを彼方へと押し流したのだ。川で起こった、幻のような出来事。もう、誰にも会えない。今日、私は、この街を去る。
川の水は、いつか天に戻る。
私は、川を眺める。数人の青年を乗せたモーターボートが、何度も行き来するのを目で追った。そして、ボートは、私の前で止まった。
「なにをしているのですか」
私の問いに、ひとりの青年が答えた。
「川を、楽しんでいるのさ!」
コタ・バルは、マレーシアでも特にイスラム色の強い地域。スーパーマーケットには、なんと男専用レジと、女専用レジがあります。おとなの女性は、肌の露出の少ない長そで長スカートのマレー服を着て、頭は、スカーフですっぽり覆っています。私も、スカーフを買って、にわかモスリムになってみましたが、暑くて大変でした。でも、スカーフを被れば、ぱっと見はマレー人。「外国人」と、じろじろ見られることはありません。
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