「ジョホール・バルからメルシン へ」
 

 私はさっきから、バスターミナルのチケット売り場のカウンターで、売り手の男と、やりあっていた。どうやら私が行きたい場所とは、まったく違う行き先きのチケットを、掴まされているという事実に、気が付いたからだ。
「私は、メルシンに行きたいのよ!」
私は、強い調子で男にくってかかった。チケットには、「コタ・バル行き、子供料金」とコンピューター文字で書かれている。
「コタ・バル行きのバスは、メルシンを通るんだ。だから、おまえはメルシンで下車すればいいんだ」
ノープロブレム。男は、にやにや笑い、私が突き出したチケットを受け取ろうともせずに、押し返した。
「私は子供じゃないわ!このチケットじゃ、バスに乗れない!」
私はなおも、くい下がった。ぼられている。そう思ったからだ。
メルシンは、ここジョホール・バルから、約百キロ北上した所にある港町だ。コタ・バルが、ここから何キロくらい離れているのかは知らないが、タイ国境近くの街であることだけは、知っている。しかも、子供料金。絶対におかしい。
「メルシンは、コタ・バルの半分の距離なんだ。子供料金は、大人の半額なんだ。だからその券で、大丈夫なんだ」
男も負けていない。めちゃくちゃな理屈で、切り返す。
マレーシアに入国したとたん、私はアジアの、混沌とした渦の中に巻き込まれていくのを感じた。
私はほんの数十分前に、バスでコーズウェイを渡り、シンガポールからやって来たばかりだ。バスで一時間。たった一時間で、あたりはいきなりマレー世界になっていた。屋台と物売りの姿。鮮やかなマレー服を着てスカーフで頭を覆った女性や、ひげをはやした男性が目立つ。  ざわざわと、ごちゃごちゃ。
 シンガポールでは、明らかに「だまされた」と感じた出来事は、ただの一度もなかった一時間のバスの旅では、国境を越えた実感が湧かない。つまり私は、油断していたのだ。だからさっき、バスのチケットを買った時、私は料金の確認も、行き先の確認もしないまま、なんのちゅうちょもなく、支払を済ませてチケットを受け取ってしまたのだ。
「ノープロブレム」
男はチケットを、突き返す。私の回りには、騒ぎが大好きな男たちが、集まってくる。
「アパ?アパ?」
「バガイマナ?」
やじ馬が騒ぐ。他の従業員たちまで、口々に、ノープロブレムを繰り返す。これは、もうどうにも収集がつきそうもなかった。
発車の時間も迫っている。私は、バスに乗ることができさえすればよし、という低いレベルで、妥協せざる をえなかった。
「ここに、あなたの名前を書いて、私がバスに乗れる保証をして!」
「・・・オーケー」
男はしばらく考えていたが、最後には鉛筆で、チケットに名前を書き込んだ。私の回りで、ほう、という安堵とも失望ともとれる、声が上がった。
 私はのろのろとカウンターを離れ、外に向かって置いてあるベンチに腰掛けた。やじ馬たちは、まだ騒いでいる。隣に座っている白人の女性が、さっきの騒ぎを見ていたらしく声をかけてきた。
「大丈夫でしたか?」
「ええ。でも少し疲れました」
私たちは、まるで、自分の家の息子のことを話しているかのように、顔を見合わせて微笑んだ。まったく、しょうがないわね、とでも言うように。
 きっとこの人も、こんな、どうしようもないアジアに魅せられた人なんだ。
そして、なにを隠そうこの私も、さっきの騒ぎを、「とてもアジア的なこと」として、大いに楽しんでいたのだ。

 大粒の雨が急に降り出した。しぶきで、あたりが霞んでしまうほどの激しさで。昼間の暑さを、さらっていく。熱帯の国らしい風景。私の好きな、そしてきっと、彼女も好きなこの風景。
「雨・・・」
私たちは、同時につぶやいた。

 マレーシアの中距離、長距離バスはエアコン、ビデオ、トイレ付きだ。運がよければ、膝掛けがつく。なんとなく豪華なものを想像してしまうけれど、忘れてはいけない。「アジア」だということを。
ビデオは、だいたい調子が悪い。止めたほうがいいんじゃないの?と思わせるほど映りが悪く、雑音がすごいこともある。ビデオがついていない時は、大衆音楽が、大音響でかかっていたりする。車掌は、踊る。運転手も踊りだしそうになる。そしてその音源たるカセット・テープも、こんがらがってからまり、途中で終わってしまうことがある。
 トイレは、実際に使ったことはないが、使っている人を見たことはある。どんな状態かはわからないが、きっと、使えるのだろう。
 そして、最大にして最悪のサービスは、がんがんに効かせた冷房だ。私は、長距離バスに乗るたびに風邪をひいた。
いつも重ね着をし、この熱帯の国で長袖・長ずぼんという格好をしているにもかかわらず、私は、風邪をひき続けた。
空調の送風口は、さびついたように、全く動かない。直接吹き付ける冷風にさらされながら、なすすべもなく、私は震えた。
 快適なはずの、リクライニング・シートは百四十度で固定されていたりする。後ろの人にひけめを感じながら、のけぞるように座り続ける。あるいは、なにか非常に堅いものに背中を圧迫されることも、有り、だ。
 とにかく、備えられている設備に惑わされては、いけない。
こんな長距離バスのルーム・ミラーには、きれいな花の首飾りが飾られている。ダッシュボードには、ぴかぴか光る金銀の造花が、揺れている。きっと、これらは、アラーの神に捧げられているのだろう。出発前には、運転手と車掌が安全を願い、これらを丁寧にディスプレイする。
 私はあのチケットで、どうにか、バスに乗ることができた。署名をもらっておいて、本当によかった。やはり車掌に怪しまれたのだ。
「子供料金?」
車掌は私とチケットを見比べて、疑問を口にした。あたりまえだ。いくら日本人が、若く見られるといっても、ものには限度、というものがある。三十を過ぎている私が、子供に見えるわけがない。
私は、事の成り行きを説明した。 「サインが、有るでしょう。彼が、ノープロブレムと言いました」
車掌は、鉛筆で薄く書かれた男の名前を、時間をかけて解読した。
「奴の仕事か!」
車掌は、吐き捨てるように言い放つ。
「それで、どこまでいくんだ」
「メルシン」
車掌は目線をそらし、コタ・バル行き子供料金と、メルシン行き大人料金との差額を暗算した。しばらくの沈黙後乗れ、と目でうながされた。
 こうして私は、車中の人となった。近くに座った中年女性も、これからメルシン行くという。気になって料金を聞いてみると、やはり私が払った額より、安かった。 「やられました」
私は、バス・ターミナルでのできごとを、いっきにこの女性にぶちまけた。彼女は静かにうなずきながら、全てを聞いてくれた。そしてやはり静かに、次に私がすべきことを、アドバイスした。
「おなかの中のものを、全部出したから、おなかの中が、からっぽになったでしょう」
私は、空腹であることに、気づく。
「さあ、さあ!これを、おなかに入れなさい」
女性は、膝の上に載せてあった新聞紙の包みを、開いた。中から、揚げたてのピサン・ゴレン(バナナのてんぷら)が現れた。
私は、彼女のアドバイスに従って、南国のおやつをほおばった。


−メルシン・バス停とタクシーのりばにて−

 いったい何本のバスを、見送ったことだろう。一時間に、二本しかないバスなのに。  午後の陽射しが、アスファルトを焦がす。立ち昇る熱気で、頭ががんがんしてくる。私は、大勢の西洋人バック・パッカーに混じって、わずかな日影を寄り添うように、彼らと共有していた。
 メルシン、レストラン・マレーシアの店先。ここが、東海岸を縦断する、長距離バスの停留所だ。私は、シンガポールとタイ国境との、ほぼ中間に位置する商業都市、クアンタンを目指していた。
けれどバスは、すでに沢山の乗客を載せた状態で、やって来た。全席指定で、それ以上の数の乗客を、乗せてはくれなかった。チケット売り場になっている、マレーシア食堂のキャッシャーの前には、ひとだかりができている。けれど、バス会社のオフィスとこのマレーシア食堂とが、オン・ラインで結ばれているはずはなかった。チケットを売る女主人にも、次のバスの空席が、どれくらいあるのかは、全く分からないのだ
。 北に向かう旅行者の数は、時間を追うごとに増えてきた。それに対して、バスに乗れるのは、ほんの数人。定刻通りに来ないバス。そして、待っていても、必ず乗れる保証もないのだ。
バスを道路のはるか遠くに発見するたびに、マレーシア・リンギ札を握った人々が、その腕を前に突き出しながらキャッシャーに押し寄せる。女主人はバスの到着を待って、自分の近くに差し出された紙幣の何枚かを抜き取り、そして叫ぶ。「ハビス(終わり)!」
 みんな疲れている。私も疲れている。荷物を抱え、歩道に座り込む。なんとか、少しでも目的地に近づきたい…誰もがそう思っている。
「クアンタンまで、タクシーをシェアしよう」 ひとりのマレーシア人男性がこう提案し、自分のちいさなボストン・バッグさっと掴むと、混雑しているバス停からのがれるように、早足で歩き出した。
 私と、これを聞きつけた何人かが、いっせいに立ち上がった。クアンタン?クアンタン!我々は呪文のように繰り返し、男性の後に続く。
私も肩に、バック・パックをかつぎ歩き出したが、暑さと疲労のせいなのか、足元がふらつく。クアンタンまで、行きたい!みんなから離れないように、私なりに全力を尽くしたつもりだった。けれども、私がタクシーの溜り場に、たどり着いた時には、例の男性と、その一行は、すでにクアンタンへと、出発した後だった。
 残されたのは、女ばかり四人。容赦なく、私たちは置いていかれた。弱肉強食・・・。こんな極端な熟語が、頭に浮かぶ。
来た道を、戻るつもりは全くなかった。それ程、私は疲れていた。私たちは相談し、なんとかしてクアンタンまでタクシーで行くことに、決めた。
「クアンタンまで行きたいのだけれど・・・」 大柄な西洋人女性が、小柄なタクシー・ドライバーひとりひとりに、のぞき込むようにしながら、声を掛けていく。
「クアンタンは遠すぎる」彼らは、首を横に振るだけ。
私は、疲れ切ってベンチに全てを預けながら、その風景を見ていた。 「オマエハ、××××!」突然、後ろから、軍隊言葉のような日本語で声を掛けられた。
最初、それが日本語なのかどうなのか、ぼんやりした頭では、判断できなかった。なにげなく振り返ると、ベンチにたて膝をついた老人が、タバコをくわえながら、にこにこ笑っている。
「オマエハ、日本人カ!」
やはり、日本語。語調のきつさとはうらはらの、彼の人なつっこそうな笑顔に、私は戸惑いながら、答えた。
「はい、日本人ですが・・・」
老人は、自分は日本の歌が歌えると、大声で得意そうに回りに言うと、怪しい日本語で歌い出した。それは、私の知らない歌だった。けれど、それが軍歌であると、すぐに分かった。
 老人は、日本人の私に、自分が日本語や日本の歌を、知っていることを、ただ知らせたかっただけに違いない。深い意味はないに違いない。けれど、私は困ってしまった。このあたり、きっとたくさんの日本兵がいたのだろう。マレー半島東海岸。アジアの歴史に、心が、痛む。老人は、日本が、私が嫌いかもしれない。
「ドコカラ来タカ?東京カ、大阪カ?」
「東京の近くからですが・・・」
「ソウカ、ソウカ!ヨク、来タ!」
わっはっはと、彼はとても楽しそうに大笑いしながら、右手を差し出した。握手。私はよく事情が飲み込めないまま、握手した。
「オマエハ、友達!」
そうか、そうか!私は、少し元気になって、この新しい友達に、私たちの事情と願望を説明した。新しい友達はタクシードライバーと粘り強く交渉し、私たちはタクシーに乗れることになった。
 私は日本語でお礼を言った。私の仲間たちも、私に続いて次々に、最大限の感謝の言葉を口にした。
「アリガト!アリガト!」
 日本では、ほとんどバスに乗らない私ですが、アジアでは、いつもバスを利用します。宿で知りあった人とバーに行った時、乗り込んだタクシーの中で、この一ケ月の旅で三回目のタクシーだと告白すると、自分は今日だけで五回目だと、とても驚かれました。


 



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