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成田を出発して六時間がたつ。小さい窓の外に、ちりばめられた光が見えてきた。飛行機は、その中に、すいこまれていくようだ。機体が大きく旋回する。海の黒と、空港の明るさが私をわくわくさせる。熱帯の夜。大好きなアジア。
ずしん、と着陸の振動が身体に伝わり、みんながほっとする。とうとう来た、シンガポール ・チャンギ空港。そして、日本は遠い過去になった。
ナリタ―シンガポール間は、たくさんの便がある。私は、成田を夕刻に飛び立った。すでに時刻は、午前零 時を過ぎている。たくさんの日本人観光客。私もその中のひとり。みんなの歩調に合わせて歩く。清潔で明るい空港。日本語表示もある。なんだか、成田に戻ったみたいだ。私は思った。
アジアに来た実感が湧かない。少しがっかりする。私は、アジアにごちゃごちゃで、汚くて怪しいものを望んでいた。日本とは正反対のもを、求めて来たのに、ここは東京とつながっている。私はそうとも思った。けれど、東京を連想させるこの国を、つまらないと考えるのは、間違いだと思う。それはアジアの先進国、日本に追い着くための、努力の結果なのだから。
イミグレーション。パスポートに、スタンプが押される。十四日間の滞在許可。シンガポールが私にくれた、この十四日の間に、ごちゃごちゃを見つけてみたい。私はあくまでも、自分の思い込みにこだわった。
タクシーに乗り込み、深夜の空港を後にする。ベンクーレン・ストリートまで、私はドライバーに告げる。その通りまで行けば、安いホテルがある。予約はいれていない。けれどアジアは、こんな無謀な旅人をも受け入れてくれることを、私は知っている。
タクシーの窓から、深夜の街を見る。闇の中に、すっくと立つ建物。林立する高層アパートは、まるで作り物のようだ。明かりが灯った窓が並び、そのひとつひとつに、「家庭」というものが、収まっている。私は、落ち着かなくなった。
この感覚、前にも感じたことがある・・・
私には、昔から、変な癖があった。密集する窓明かりに意識を集中したり、都会の雑踏の中にいたりすると、決まって気が遠くなった。
全ての明かりの元に、家庭がある。そこでは、「家族」が生活をしている。群集の、ひとりひとりに両親が いて、その人達にも、また親がいて・・・、過去から未来へと続いている。こんな当り前のことが、私の理解力をはるかに越えていて、私の頭をくらくらさせていた。そしてそれは、日本にいるから起こることだとばか り、思っていた。けれど今、飛ぶように見える高層アパート群は、私にその感覚を思い出させている。日本に置いてきたはず の、感覚を。
空港を出て二十分で、タクシーはベンクーレンのホテルに着いた。ドライバーが、安い宿に連れてきてくれた。言われた通りの料金を払う。料金メーターが付いているから、ふっかけられることはない。それに、アジアの常識、値段交渉も必要なかった。すんなりと事が運ぶ。なにかが、足りない。
私はドライバーに見送られ、薄暗く急な階段を上がる。バックパックが肩に重い。ホテル・ハワイ。このアジアらしくない名前の宿が、今日の私の家になるはずだった。
「満室。また明日来てください」
けれど、堅く閉じられた扉に、手書きのはり紙が一枚、セロハンテープで貼られていた深夜、泊まるところがない。予定通りにものごとが進まない・・・。私は急に力が湧いてきた。こうでなくちゃ。ここは、日本じゃないんだから。私は元気よく、次の宿を目指して、歩き出していた。
朝、目が覚めた。枕元に置いた腕時計を、引き寄せる。午前八時。あまり寝ていないけれど、爽やかな気分だ。外国にいる、という事実が、「いい気分」を引き出している。えいっ、と私は飛び起きる。
ここは、ゴーズ・ホームステイ。洗面台と、ベッドと、小さな扇風機がひしめきあうシングル・ルーム。きのうの夜、ドミトリーのベッドはあいていなかった。けれど、私の旅の予算では、ドミトリーにしか泊まれない。オーナーは、私を追い返し、シングル・ルームを空けておくより、私を泊めた方が得、と判断した。こう して私はこの部屋に、ドミトリー料金で泊まることができた。
最終的に、運がいい。おもわず、ひとりごとが、こぼれる。
朝食をとるために、部屋を抜け出す。白い布でできた日除けを、長く伸ばしたアラブ風のレストランや、雑居ビルの一階で、プラスティックの椅子やテーブルを、歩道にはみださせた食堂。日本にはない風景。やっぱりここは、大好きなアジアだ! 私はほっとした。
たくさんある安食堂の中から、一軒の店を選ぶ。容易発餐店、イージー・レストランという名前の小さな食堂で、中華メニューの食事をとることにする。
中年のウエイターは、私に気付かないのか、初老の客とのおしゃべりに夢中だ。しかたなく、私は店の奥に、ぐいぐいと入り込む。ショウケースの上に貼られた、写真を指差しながら、料理人に直接、注文する。料理人は黙ってうなずく。焼ビーフン、目玉焼き、白身魚のフライと紅茶。シンガポール・ドルで二ドル三十セント。お金を払うと、厚手のガラスのカップに入ったミルク・ティーを渡された。ティー・バック二個、たっぷりの コンデンスミルク。濃くて甘いその紅茶は、インドのチャイを、思わせた。
出勤前のサラリーマンやOLが、黙々と麺や粥を食べている。ラフな服装のおじさんやおばさんが、早口の中国語でしゃべりながら、お茶を飲んでいる。この国では、一日三回外食のことも、珍しくないと聞いていた。
昔、この国に、中国人やインド人が移り住み始めた頃、その移民の男女比は、圧倒的に男が多かったのだそうだ。男たちは働いて、そして眠った。食事を作ってくれる女はいない。食事を作るという「仕事」も、男たちが分担した。そして今、女性たちは、炊事から解放され、衰えることなく、発達している外食文化。
一日に、三回しかない食事のチャンス。おいしいものを食べなければいけないと、この国の人は思っている。さすがは、食にうるさい国民性。
シンガポール・イコール・東京。この公式を、私は打ち消した。私は、歩道に置かれたテーブルを陣取り、マンウォッチングをしながら、優雅に二百円の食事を楽しむ。
先を急ぐサラリーマン達。最新ファッションのおしゃれな女性。Tシャツにサンダルばきの女の子。旅行者 や西洋人ビジネスマン。水をしたたらせながら、荷物を運ぶ人。サリー姿の老女が、幼稚園へ向かう孫の手を引く。子供たちが、肩から水筒を下げているのがほほえましく、そして南国らしい。
高そうなヨーロッパ車や、人々を荷台に載せたトラック。商品広告でボディを飾った、カラフルな二階建バス・・・。全てが、私の前を通り過ぎて行く。そして、私がゆっくりしている間に、まわりに座るみんなは、次々と出勤していった。
今日は、水曜日なんだ・・・。
私は、自分がのんきな観光客である事実を、喜んで受け入れていた。
私は、イージー・レストランの、歩道の席がとても気に入って、毎朝通い詰めた。そして、五日目の朝も、いつものように店を訪れた。
「グッド・モーニング!」きのうまでは、ろくに返事もしなかったウエイターが、弾むように話しかけてくる。「おはよう・・・・」私は少し戸惑いながら、麺とおかずを注文した。きっと今、私は、きょとん、とした顔をしているに違いない。ウエイターは、なおも話しかける。
「ドリンク? ザ・ユージュアル?」
「イエス。プリーズ・・・」
「オーケー・ラー! ユア・スペシャルシート、ヒア!」
ウエイターは、私の手を引かんばかりの勢いだ。そして、満面の笑顔。この変わりようは、いったい何?なにがなんだかわからない。私は圧倒されて、いつもの席に、あわただ しく座った。
食事を終えて、ゴーズ・ホームステイに戻る。談話室で、この国で長く英語の教師をしているというアメリカ人に、この一連の話をした。
「彼らは、心に無いことは、しないんだ」彼の青く透明な瞳は、遠くを見ている。
シンガポール人は、不愛想に見えても、決して異邦人を嫌いなわけではないらしい。ただ、知らない人に、愛想笑いをする習慣がないだけなのだ。あのウエイターは、毎朝店に来る私に、親しみの気持ちを持ったのだろう。それを、表現しただけのこと。彼の説明は分かりやすい。きっと、彼にも、こんな経験があったに違いない。
「あるがままを感じればいいんだ」
あるがままを、感じる。私はうなずいた。そして、彼が見ているほうを見た。
人波。途切れることのない、人波。ベンクーレン・ストリートから二本目の通りに、観音堂とヒンドゥ寺院 が、マンションをはさんで建っている。私は、人波を、見ていたくて観音堂と道を隔てて反対側に建つ、雑居 ビルの入り口へ続く階段に、腰をおろす。
徒歩で、バスで、タクシーで、そして自家用ベンツで。ぞくぞくと地元住民が、観音堂にやってくる。そして、長い線香を手にはさみ、熱心に祈る姿がここからも見える。
門前には、カラフルな花を売る女たちが列をなし、参拝客に声をかける。まわりのビルには、関連商品を、 売る店舗が並び、客を待ち構えている。
随分賑わっている通り。ふたつの宗教的な建物があるから。私は、そう思ったけれど、それには、少し間違いがあった。確かに、目の前の観音堂には、たくさんの人が やってくる。けれど、その二軒先にあるヒンドゥ寺院は、訪れる人もなく、実にひっそりとしていた。
シンガポール国民の大部分が、中国系の住民だ。だから、少数派のインド系ヒンドゥ寺院が閑散としているのは、ごく当り前なことなのかもしれない。けれど、それとは対照的に、建物の外壁をぐるりと飾る、たくさんの色とりどりの神様たち。その風景は、私を大変もの悲しくさせた。
観音堂門前の、たくさんの中華系住民の中に、ひとりのインド人らしき老人がいるのに気付く。おぼつかない足取りで、人波にもまれるように、右に左に揺れている。あの老人は、ヒンドゥ教徒ではないのだろうか。私は、異教徒であろう彼がなぜ、観音堂にいるのかが、わからなかった。
私は、彼の姿を目で追い続ける。どうやら彼は、参拝を目的にしているわけではなさそうだ。その証拠に彼はもう何十分間も、ただ門前にいる。シンガポールではめずらしほどのよれよれの服・・・
老人は、物乞いだ! 行き交う人々に、金をねだっていたのだ。なぜ、気がつかなかったのだろう。私はのんきな観光客。目の前の風景を、ただぼんやりと眺めているだけ。そして、不思議なことに、私が老人を「物乞い」と、思ったと同時に、彼も私に気付いたらしい。 まっすぐ、こちらに歩いてくる。
緊張が走る。私は、反射的に、むぞうさにポケットにつっこんであるコインの中から、一ドル貨幣を一枚、指で選んでいた。
来ないでほしい! すでに、コインを握っているにもかかわらず、私は強く願った。
私は、彼に嫌悪を感じているわけではないし、恐怖を感じているわけでもない。けれど私の中で、彼を物乞 いと認めてしまった以上、この一ドルを渡すのか、渡さないのかを選択しなければならなくなった。それはとても、私にとって、むずかしいことのように思われた。ほどこしをすることは、簡単だ。しないことも、簡単だ。けれど、全ての物乞いに、そのたびごとに、ほどこしをすることは不可能だし、彼らの存在を無視し続けることも、私には、できそうもない。心がざわつく。判断できない、弱い自分。こうしているうちに、老人は、ずんずん近ついて来る。
「ハングリー」
低くかすれた声。老人は、左手を自分の口に、右手を私の前にもっていきながら、訴える。私の視線を、心 を捕らえようとする、強引なまなざし。目をそらすことも、立ち去ることも、許されない!
日本に生まれて、日本で「円」を稼ぐ。この当り前のことについて、私はいつも、考える。日本人。それだけの理由で、私は財布の中に、ある程度の「円」を入れることが、できる。それは、日本では、たいした額ではない。けれど、アジアでは時に、何ケ月分あるいは何年分の、給料に匹敵してしまう事実。私は、はっとする。ジャカルタの空港で、一枚の一万円札を多量のインドネシア・ルピア札に両替して、はしゃいでいる日本人たちを見たことがある。そして、うんざりしたような両替商の顔も。
あんなふうにはなりたくない。力なくつぶやいたのを、思い出す。けれど私も、同類。経済格差が作り出す魔法で、得をする人間なのだから。なぜか、悪事をあばかれた詐欺師のような気分になって、私は黙って、一ドルを老人の手のひらに乗せる。彼の手のひらが、それを包み込む。すべてがスローモーションのように、ゆっくりと進む。人々のざわめきも、車の騒音も、遠のいてしまった。私が、最初にコインを握った瞬間に、気弱な詐欺師と、ぎりぎりを生きている老人との勝負は、すでについていたのかもしれない。
「サンキュー」
彼は、私に手を合わせたあと、堂々と去っていく。その姿には気品さえ感じられる。けれど彼の手は、本当 はヒンドゥの神々のために合わせられるはずだった。老人の後ろ姿を見送りながら、生きるためには、一ドルが優先されたことを、私は悲しく肯定した。
彼が、私のそばを離れた後も、私の気分は重苦しい。それは彼にではなく、私自身に向けられている。金がなによりも先、とは思わない。金があれば幸福、とも思えない。けれど、もしあの老人に今日をしのぐ数ドルがあれば、彼は誰の前にも、そして神様の前にも物乞いとして現れることはなかったのに。
なにかがはっきりしない、もどかしさ。なにかを掴みたくて、旅をしている。自分でも、よく分からない「なにか」。もしかすると、一生掴めないかもしれない「なにか」。でも、このプロセスも大切にしたい。
ここは、東京とつながっている。私は最初そう思った。その直感は、正しくもあり、そして、全くの見当違いでもあると感じた。観光客の私が、全てを語ることはできない。でも、豪華な食事やブランド品のショッピングだけが、シンガポールの姿ではないと思う。いいことも、いやなことも、本当のこと。それはどちらとも、目をそらして「ないこと」にしてはいけないような気がした。シンガポールのことを知らないように、私は日本のことも、ほとんど知らなかったのだと気付く。
あるがままを感じればいい。私は、思い出した。そのままを、受け入れてみよう。シンガポールを、日本を。あの老人のことを、そして自分自身のことを。
夜。外国人や、おしゃれなシンガポーリアンであふれた、川辺のレストラン街を歩く。伝統的なショップ・ハウスが、整備されて並んでいる。川面に映る街明かりが、とてもきれいだ。きらきらした、無数の明かり。飛行機の窓から見ていた、シンガポールの光たち。
川にかかる橋のてすりに、一組のカップルがよりかかって、楽しそうにおしゃべりしている。ふたりの手は、しっかりと握られている。インド系の青年と、中華系の女性。私はふたりの仲が、うまくいくことを願った。
シンガポールは、罰金で有名な国。チューイング・ガムを持つことも、違法です。随分厳しいなー、と 思っていましたが、若者が集まるオーチャード・ロードのバス停で、かわいい女の子が、こっそりガムを 噛んでいるのを見た時は、なぜか、ほっとしました(でもかみくずはちゃんと、ごみ箱に捨てていました)。
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