「うそつきの目」
 

 あなたはうそつき、という種類の人に逢ったことがあるだろうか?
 もちろん生きていくためには、それは多少の嘘は誰にでもあるものだろう。あなたも私も嘘をついたことがあるはずだ。
 けれどそれは普通、相手を傷つけないための方法だったり、自分の立場を守るためのものだったりというごく限られた種類のうそのような気がする。
 私は大変ぼんやりした人間で、だからこそなのかも知れないけれど、私を騙そうとする人間の嘘を見破った事がない。あぁ、書いていて悲しくなった。こんな事は少しも自慢になりはしない。「私はアホです」といってるようなものだ。
 けれど、私を騙したところで、いいことなどこれっぽっちも無いのだから、騙そうとする人もいなかったにちがいない、そう思いたい。
 こういった理由から、私は今までにうそつきという人種に逢ったことが無かったように思われる。

 というわけで、あまりお目にかかれないうそつきと言う人種。
 こんなぼんやりの私だが、アジアでは、あ、こいつは私を騙そうとしているな、とはっきりわかる事がけっこうあるのだ。

 時は1999年2月某日午前10時。場所はマレーシア、ペナン州ペナン島ペナン・ヒルの上。海抜692メートル。
 いつもはねぼすけの私だが、旅先ともなれば午前中から丘のてっぺんにいたりするわけだ。私は朝早く起き、バスとケーブルカーを乗り継いでペナン・ヒルにやって来た。丘の上は結構涼しい。上着を持ってくればよかった。
 私は栃木の大平山を彷彿とさせる、物悲しく故にそそられる、ちょっとちんけな飲食店やおみやげ物屋がかたまった一帯に吸いこまれた。寒くなってきたのだ。
 大平山なら、甘酒だろう。甘酒なんてぜんぜんおいしいとは思わないけど、でも、ここがもし大平山なら甘酒だろう。けれどペナン島である。私は、ホット・ジンジャー・ティーを注文した。
 目の前には、みやげ物屋。私は誰かに絵葉書でも書くか、とみやげ物屋をのぞいてみた。店番をしていたのはサリー姿の小柄なインド系の老婆。
 誰あろう、このお方こそが私を騙そうした人物である。
 私が絵葉書を手に取ると、それをひったくって説明をはじめる。別のを手に取ると、それもまたひったくる。
 いくら?と聞くと、やたら高い。山の上の物価が高いのはしかたがないが、高すぎやしないか? 高い!と言うと、これは品質がいい、と言う。そんな事はないと思う、印刷がずれている。いらない、と言うと、ちぃっと舌打ちをする。
 絵葉書も、ヒンドゥーの神様のキーホルダーも、Tシャツも、扇子も、何もかもが高い。粘りずよく交渉したがほんのちょっとしか値引きしない。
 私は気がついた。老婆の目は生き生きしていた。と言うか真剣そのものだった。なりふりかまわず、といおうか、必死であった。すがり付いてくるようなうそつきの目…。  私はなんだか、非常にめんどくさくなり「もうここで納得したふりをして、買ってしまってもいいんじゃないか?」という気になった。早く飲み残してるジンジャー・ティーも飲みたい…。
 私は、ツーリスト価格の中で最も高いと言われている、日本人価格であろう高い絵葉書を5枚買い、大きな札を出した。老婆がおつりの札を出す。その目がギラリと光っている。怪しい。ひぃ、ふぅ、みぃ…。つりの札を数えてみる。
「クーラン(足りない)!」私は叫ぶ。ちぃっと舌うちしながら札を差し出す老婆。間違えた、というそぶりもみせない。目は更にぎらぎらしている。本来なら謝罪の言葉のために開かれるはずだった口から出てきた言葉は「切手はいかが?」だった。商売人である。
 私は切手も5枚分買うことにした。なぜかわからないけれど、さすがだな、と妙に感心してしまったのである。
 やっぱりやってくれた。エアーメール用の切手は一枚50センのはずだ。ところがこの老婆、一枚につきなんと50セン上乗せしてきたのだ!
 最後の最後まで、なんとか私から小銭をちょろまかそうとする…。私は痛快な気持ちになって、10枚分の切手を黙って買った。心の中で、実は拍手もしていた。
 ジンジャー・ティーはと言えば、もちろん冷めていた。

 



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