田舎医師芝崎一郎

HAM アマチュア無線    de JM7ELL/1 also JA1CKQ

 アマチュア無線もずいぶん廃れた〜と言えますが、純粋に趣味とする人が残ったと言うべきでしょう。最近でもDXのパイルなど聴くと、皆さん相変わ らずお達者ですねと思いますhi。

 私がこの趣味を始めたのは岩手県和賀郡沢内村で、'94沢内病院勤務中でした。無線を始めたきっかけは、ラジオ修理用部品を買いに行った無線 ショップでたまたま聴いたHAMの交信が面白そうで、というのが第一です。 第二は、僻地に住んでいましたので、地吹雪や山間であわや遭難という時役に立つか、という程度でした。もう一つ、何かの雑誌に、沖縄の離島勤務医がHAM を楽しんでおられたのを読んだ記憶があります。

 4アマの免許を仙台の国家試験で取り、一人で申請書類を書いて開局しました。
 早速ローカルのJH7YAJ奥羽クラブの公開運用に顔を出し、以後クラブ各局には大変お世話になりました。 クラブのTS520VでHFを聴けと、会長のJH7UGL吉田さんが持ってきてくれました。
 3級の資格をすぐに取り、HFの免許が来たのが'95 1月で、この年は専ら6mのEsでSSB、FMでよくCQ出していました。和賀郡は6mでは珍郡だったようです。TS690DにHFはDP、6mは 2elHB9CV固定ビームでした。

 CWは一人で練習していましたが、95年8月のYAJの運用で、遊びにいらしたJA7DLE佐野さんに30分程手ほどきを受けまして、師匠と思っ ています。'95 9月にはCWでCQ出しています。これがまた結構呼ばれて...沢内では縦振れでした。やはりCWでも和賀郡は珍だったのでした。さらに2級の資格を取り ました。

 残念ながら、この年の11月で引っ越しとなりました。奥羽クラブで盛大に送別会を開いてもらいました。さらに沢内勤務最後の夜は、家族は 妻の実家に引き揚げていまして、私一人で宅直だった所へYAJ各局がアイボールに来てくれました。
 翌日は引っ越しで、全部荷出ししたらもう暗くなり、一人でシャックだった部屋の電気を消すときは本当に涙が出たものです。その夜は玉泉寺に泊めていただ き、ご馳走になりましたが、JG7TVM藤原さんもお別れに来てくれましね。
 あくる日はいよいよ沢内とお別れで、川舟まで行って和賀岳を見てから吉田会長に挨拶して、西和賀を去りました。

 沢内時代は、無線が慰めでした。ただ、フォーンですと喋らなくてはならないですから、 普段人と話す仕事なので、いらぬ敬語に気をつけたりするのは、あまりストレス解消にはなりませんhi。そんなわけで私の運用スタイルができたと思います。

 引っ越し先は、長野県南佐久郡臼田町で、勤務先の佐久総合病院にはJH0YINがありまして、会長のJA0DOW平林先生にはまたまた 並々ならぬお世話になりました。1アマを取れとさんざん勧められましたが、QRP(小電力通信)を始めていたのと、殺人的に忙しかったので、この時は先送 りになりました。'97 8月期に取りました。

 '97 3月に縁あって故郷に就職口を見つけ、帰ってきました。こちらでこんどはJH1ZSB古河クラブにお世話になっています。
 
 私はちょっと懐古趣味なところがありまして、自分の出した電波が大気圏や電離層をめぐり遠くと交信するということに、何とも楽しみを感じるので す。自分でと言っても、現在、商用電源と市販の無線機を使っている訳ですが、これらは自作も可能な訳です。自分自身の力で遠くと通信するという事が、この 趣味のエッセンスと思っています。

 HAMはking of hobbyだそうですが、私は社会的な趣味だと思います。WではかつてHAMであることがステイタスだったそうですが、いろいろ便利な今こそ、通信の原点 に立ち返るのも一興ではないでしょうか。たかだか数ワットの電波が世界をめぐるのです。

 その後個人輸入でNorCal "SIERRA" kitなどを製作しましたが、普段は便利なFT817などを使っています。
 自転車を始めて以来無線は「ごぶさた」になっていますが、`03に再割り当てでJA1CKQのコールサインを取得しました。JM7ELLでなじんだ友人 がたくさんいるので、このコールサインも継続します。
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アマチュア無線のリンク

 古河アマチュア無線クラブ/JH1ZSB

 JARL QRP club 

 BINじーのWEBページ JH6NEC/1:隣町のQRPerです



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