田舎医師芝崎一郎

公的診療所を離脱した医師群

 なぜ医師達は村を去ったか

 `80年代終わり、長野県の国保診療所の医師達が新しい活動を展開した。長野県国保地域医療学会診療所部会のメンバーによる「信州医療研究会」が 会誌「診療所の時代」を刊行した。それぞれのメンバーはそれまでに診療実践、個の行為ともに成してきた方々である。

 当時私は沢内で働いており、年に一度の地域医療学会で彼らと交歓を持つのが楽しみだった。

 矢島先生は、学生時代に大学でお話を聴いたことがある。当時から、イリイチをよく読まれていたが「脱-医療的」な読みと当時から受け止めている。
 網野先生は、「集団検診をやめた村」で有名。私と同時期に村を去られた。その直前にお会いしにうかがった。
 多田先生は、私の学生時代に小谷村におられた頃から存じ上げる、温厚な先輩。滝沢先生は「平成へき地医療騒動記」を書かれた。佐々木先 生にはお会いしてお話するする機会が無かったが、阿部、池田両先生は私が沢内の後、1年佐久に身を寄せた時期に長野県国保連のはからいでお会いした。小堀 先生は、フーコー流で鋭い眼を持っておられる。等々、以上私は個人的に存じ上げる。

 彼らの共通認識は、医療幻想を正面から論じ、病院医療に対立して診療所をとらえ、在宅医療から福祉に関わり、集団検診を批判否定 し、オルタネーティブとして、診療所(クリニックとしての)、在宅医療、介護(システムも含め)、個人検診を据えた。また佐久病院(その医療ディスクール 的プラチック)を批判否定した。私の言葉では、こう一文でひとまず紹介するが、それぞれが、個別、多様であった。いわゆる医療批判を共通に持っていたと言 えよう。

 また、大御所である、新潟の黒岩先生、佐久で在宅のハートを学ばせてくれた井先生も自治体の医療機関を前後して去った。全国を見ればまだあろう。 そして、今年沢内の増田先生が定年ではあるが沢内病院を辞める。

 皆、私には、細やかな臨床眼をもつ、柔軟な頭と暖かい心を持った医師であり、ジェントルマンである。個々の医療プラチックも多彩でのびやかだ。

 しかし、`95年前後、同時多発的に彼ら多くの医師達が村を去った。なぜだろうか。そして、私も全く同時期に沢内を去った。単なる偶然とは思えな い。それぞれが、格闘した物事の本質と差異を明らかにしていきたい。私自身、当時を客観化できる時期に来れたと思う。
 また、当時からひとまわり考えを進めた地点から、今を生きるありかたを考えていきたい。

 以下、キーワード:

1)国保直診の診療所というもの
 市町村が国保の主体であり、給付すなわち医療機関の無いような地域に国保直営の診療機関を設置した。その中でも、小病院、診療所は僻地にあることが多 い。すなわち非採算地域である。
 
2)診療所医師の立場、身分
 市町村長が直診の開設者であり、医師は現場の長であるが、自治体の中では、住民課などの下の出先機関、現業部門であり、独立採算。医師の身分は数年契約 が多く、良くて医療職+特別手当て、年額一定の嘱託もあり、長期保証は??。

3)首長(開設者)
 直診を生かすも殺すも首長しだいとは良く言われるが、首長との関係が医師定着の鍵ではある。

4)役場と医師
 多くの医師が役場の在り方にカルチャーショックを受ける。うまい言葉がないが、事無かれ主義、官僚的などではとてもくくれないものがある。ここに本質的 なものを感じる。

5)保健担当課
 沢内では健康管理課で、病院長が課長兼務であった。多くはミニ保健所のようなものか。 業務は多い。
 
6)役場保健婦
 彼女達には、自分本来の仕事があり、プライドもある。また末端の官僚でもある。これと戦った医師もあったが、地域では良きパートナーでありうる。「保健 の教育的ディスクールの不快さ」と一言加えておく。

7)福祉担当者
 民間資源の無い僻地では「保健-医療-福祉の統合」は共通のスローガンであったが、福祉と医療の壁は厚い。

8)患者
 健康幻想の主体は患者である。患者たりうる、医療との関係のとりかたにある。

9)住民
 僻地での高齢化は想像を絶する所もある。また、僻地たりとて若い人も生きている。人生の師に出くわすこともある。岩手では「ものいわぬ農民」といわれて いたが、「自分達」もまた存在する。

10)県国保連合会
 長野は岩手とならび、活発で独自の存在であった。が、困った時に頼れるとは限らない。

11)全国国保連 (国診協)
 全国地域医療学会は、日頃出歩けない僻地の医師の唯一の全国大会と思っていた。が、ゴールドプラン以降、議論も無く、画一化していると思う。それは長野 の論者の多くが欠けたためだろう。

12)ムラ社会
 これも多くの医師がカルチャーショックを受ける。しかし考えてみると、大企業も大病院もあらゆる業界、日本全国ムラ社会ではないか?。

13)ムラの政治、選挙
 ムラの選挙の投票率は100%近い。都会との違いはこの辺りだろう。またもの凄いパワーが動く。沢内も凄かった。右も左も転倒することさえある。

14)風邪と注射
 注射をしない医師というのは潔い。今でも診察室でそれを患者に語ることがある。私は多くはないが、注射をすることもある。また、風邪で医者にかかるとい う行為を患者の側から見てみる。

15)往診、在宅医療
 往診は楽しい。在宅も喜ばれるが、しんどい時もある。特に、無床でスタッフも少ない診療所でこれを充実させるのは並大抵でない。有床で の経験からすると、有床の方が楽で安心。本人、家族の意思と選択の基準を考慮すべき。沢内での高齢者の自宅死は約50%。最近は在宅という在り方に疑問を 持ってきた。

16)集団検診
 この是非をいち早く投げかけた医師群であった。反響も大きかったが、まだ決着はついてないと思う。しかし、厚生省通達も変化してきている。

17)佐久病院
 長野県で「当面の敵」として佐久病院を設定したことは自然だろう。私が丁稚奉公した大店ではあるが、一つの医療ディスクールとして解釈 したい。若月先生は「病院を大きくしすぎたことを後悔」していた。状況の把握はともかく、沢内を心配してもくれた。あるスタッフは国保直診での役場とのつ きあいの辛さを語ってもくれた。私も嫌いなところはあるが、懐の深いところもあった。

18)健康幻想
 語源はデュボスの「健康という幻想」にあり、イリイチのMedical Nemesisはこれも踏まえている。この書は、さらに透徹した批判で、Counter-productivity「逆生産性」を医療のパラダイムで提出 した。これを「脱病院」と読むのは、De-schoolingを脱学校と訳した日本の状況によろうが、脱病院なる記載はどこにも無い。

19)医療化
 教育におけるSchoolingに対応する。"Medicalization"

20)健康主義(ヘルシズム)
 根源的独占"Radical monopoly"を超えた医療化された在り方、Self help。「健康主義と人の能力を奪う医療化」/ゾラ

21)プラチック論へ
 脱学校が、教育改革論に終り無力化するのと同じく、脱病院(論?)を専門家自身が実践することは、医療改革論に収束する。非学校を論じ、自由プラチック に至った山本思想に学べば、その後の「わたし」の在りようも当時のムーブメントも整理できる。

22)行革、老人保健法、ふるさと創生、ゴールドプラン、介護保険
 上意下達でとまどった現場様々...

23)医者、医師
 客観化して、どんな医師だったか、また村人から見てどうか... 医者って何だ。

以上、これからあちこちで対話を深めながら整理していきたいと思います。

`99  3/10


文献

赤ひげは存在するか 国診協編  同朋舎89

なぜ村は集団検診をやめたか  網野皓之  中央公論事業出版92

診療所の時代1-4  信州医療研究会(自費パンフレット)93~

家で生きる  矢島嶺  銀河書房93

みんな、家で死にたいんだに  網野皓之  日本評論社96

平成へき地医療騒動記  滝沢清  あけび書房96

信州に上医あり  南木桂士  岩波新書94  佐久の本では、知己である著者の眼差しに好感。

ディスクールの政治学  山本哲士  新曜社87  フーコー、ブルデュー、イリイチの権力論から非-権力として非ディスクール的プラチックの領域を提示

消費の分水嶺  山本哲士  三交社90  プラチック論へ。産業社会的なもの、産業的な、バナキ
ュラーな、コンビビアルな、非産業的な(対の)ものを『モモ』を通じて整理

プラチック理論への招待  山本/柳/滝本  三交社92 フランス現代哲学のまとめ。実践=プラクシスとプラチックを区別する

現代思想の方法  山本哲士  筑摩学芸文庫96 プラチック理論と再生産理論

学校の幻想教育の幻想  山本哲士  筑摩学芸文庫96 教育の本質論。教育のパラダイムからオルターネイティブを見直すことができ る。

デザインとしての文化技術  山本哲士  文化科学高等研究院出版局93

場所環境の意志  山本哲士  新曜社97  プラクシスな「場」を超えてプラチックな「場所」の設定でエコロジーを超える

文化資本論  山本哲士  新曜社99  産業社会の価値ディスクールを超えた場所設計の思想基盤

オルターナティヴズ  イバン イリイチ  新評論85

政治的転換  イバン イリイチ  日本エディタースクール89 産業的、制度的なものに対しコンビビアリティーを据えた。原著`72

エネルギーと公正  イバン イリイチ  晶文社79 交通の産業化を分析、逆生産性の概念の母体

脱病院化社会   イバン イリイチ  晶文社79
 訳の不備には「脱学校の社会」以上に定評あり。原著は
MEDICAL NEMESIS :  LIMITS TO MEDICINE / Ivan ILLICH, Pelican, U.S.A.'76
 逆生産性を、臨床的、社会的、文化的医原病として分析

人類の希望 イリイチ日本で語る  監修=栗原/樺山/山本  新評論81 イリイチ来日時のセミナー記録

専門家時代の幻想  監修=栗原/樺山/山本  新評論84 イリイチ、ゾラ他論文

シャドウワーク  イバン イリイチ  岩波現代選書82 マクロな産業的サービス制度論から、サービスを消費するありかたに視点を変えた

ミシェル フーコー  桑田/福井/山本編  新評論84 フーコー権力論は邦訳をいくら読んでもぴんと来ない。このエッセンスを最 も明確にしている書。フーコー追悼本。

ミシェルフーコー社会理論と侵犯の営み 滝本/曽根/柳/山本学訳 日本エディタースクール91
 
フーコー権力論入門  山本哲士  日本エディタースクール91 「セクシュアリテの歴史」をディスクール論、権力論として読み解く
 
フーコーの全体的なものと個的なもの  訳北山晴一/対談山本哲士  三交社93 パストラル(牧人)の権力の歴史


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