地域医療という言葉の使われる場にもいろいろありますが、私は、国保直診の主に診療所をはじめ小規模の機関で今まで語られてきた立場に立っていま
す。
非常に大まかに言って、大正以降のヒューマニズムの流れとして、国保直診(沢内村をはじめ、全国)や農協厚生連(佐久病院をはじめ各地)の医療
活動の歴史があります。詳しくは割愛。地理的な不平等による医療格差を補うというのが、これらの動機だったと思います。農山漁村で医療機関を作り、情熱的
な運動が展開されました。協同思想によって、医療保険ができたこともあります。都市に収奪される農村という構造が恐慌であらわになった時期でもあります。
戦後の復興期から高度経済成長期に地域医療も進んで行きます。一方では貧困の現代化というべき変化が、生活、労働、消費行動の変化によって起きま した。三ちゃん農業の時代、過疎の時代です。 おらだちでこせた道路だ新幹線ができて若けもんが出てぐつ構図です。
医療の上では、疾病構造の変化として、寄生虫や結核、低栄養が少なくなり、いわゆる成人病が浮上してきます。それまで伝染病対策として位置してい
た検診が非伝染病に振り分けられ編成されました。さらに癌についても検診のキャンペーンが広がっていきます。
臨床的には、抗生剤、ステロイド、抗炎症薬、抗潰瘍薬、向精神薬など薬剤の開発、普及、麻酔法の発達、高カロリー輸液などがルーチンの治療行為を変容さ
せ、胃の二重造影法、内視鏡、CT、超音波、MRIといった画像診断が診療の中で重きを占めるようになりました。
社会、文化的にはイリイチのMEDICAL
NEMESISで言う医療化が制度的に編成されてきた構造にあります。人のため、社会のために僻地医療を実践するという構図は、もはや陳腐です(今でも田
舎に医者が来ない、来ても居着かないのは重々承知)。
都市と同様に農山村、僻地も産業社会の一部であって、その上に地域的な諸像が乗っているのです。
住民の医療要求という点では都市も田舎もなく、都会のドーナツ化を差し引いても、むしろ医療アクセスの良い田舎の方が医療化が強いような印象です。
地域格差をなくす観点からは、例えば現在の佐久総合病院のように、総合病院をフル装備にして、そのサテライトを形成するのが、一つの合理的モデ
ルでしょう。いわゆる高度医療を僻地、離島で提供している所もあります。一方搬送や画像情報のリンクで高度性を維持すればよいという考えもあります。
私は沢内の増田先生との関わりで、この選択とは異質な、コンビビアルな医療プラチックを地域医療に垣間見たわけで、産業的な医療プラクシスから
距離を持ちつつ、患者である相手との対話を紡いでいく位置と場です。更に、この場において、クライアントのヘルシズム(健康主義)とやりとりしている訳で
す。それはともかく、沢内村他、田舎で出会った多くの人々には生き生きした交歓を共にできたことを感謝します。
医療ヒエラルキーの末端エージェントになるか、自律的医師になれるか、いろいろな場があるでしょうが、地域医療では動きがとりやすいということです。
80年代終わりから、長野県の国保直診の診療所の医師達が産業社会批判を踏まえた医療論を展開しました。私が沢内にいた頃です、集団検診
を批判し、個人検診をオルタネーティブとし、在宅介護に力を入れるありかたです。泰阜村の網野先生、武石村の矢島先生達です、当時私には画期的なムーブメ
ントでした。それぞれの行為は日々の闘いであったと思います。私が沢内村を去ったのと時期を同じくして、数々のユニークなDrが古巣を去られたのが残念で
す。
私論としては、住民、クライアント側の医療化-産業化されたありようが重要で、これはradical
monopolyを超えた、ヘルシズムに至っています。ここに強固な見えない権力編成があるわけです。そこを見つめていきたい。
最近は地域医療とかプライマリーケアとかちょっとすたれてきた気がします。市場の動向は、医療化、産業化されつつある福祉事業にあります。