私が沢内村と医師増田進と出会い、おつきあいを始めたのは`83年頃です。医師として沢内病院に自分の意志で赴任したのが`92年6月、村の政治 は大変な時期でした。そして`95年11月に村を去りました。
沢内方式として'70-80年代有名になったシステムは、村立の保健-医療統合システムで、40床の病 院を持ち、多分に福祉的役割を併せもっていたものです。卓越した首長(故深沢晟男)がトップダウン的に民主的政策として設置し、情熱ある職員によって維持 され肥大化しない範囲で発展したものです。戦前からの岩手の国保運動と戦後民主主義の風が後押ししたのはたしかです。ただこの認識では、沢内村の歴史は 「谷間の白百合」のまま、昭和の美談で終わってしまうと思うのです。
行革以降、風化し風前の灯火だったあの時期、村に住んで、時代の証人と語った一人として、数多の沢内村解説本には歯がゆさを感じます。沢内を解読
することは、私のライフワークです。
今後充実していきます。
レジュメ:
深沢晟男の仕事を解読しなおす。
深沢村政の土台は斉藤哲男夫妻との交感以前にさかのぼる。
自然権思想
昭和30年台の業績は専門医学的なものではない。
乳児死亡0達成は、生活水準の向上、住民の意識変化によるもので、保健婦諸姉の業績であり、行政の成果である。---公衆衛生の教科書の言うところ。
老人乳児の十割給付とその継続
医師が定着した時点でシステム、方法ができていた。
保健医療はムラ社会のネットワークを利用して編成された。
自律的な保健活動は、バナキュラーな住民の生活に破壊的ではなかった?。
高度経済成長による貧困の現代化を深沢まさおは読んでいただろうか。
深沢が夭折する前語った「教育」とは?
ムラの政治、選挙
脈々とある住民運動の歴史と現在
沢内村顛末記... 様々な書かれてはいない出来事が山積
加藤邦夫、増田進医師
沢内のプラチックを医学的ディスクールにねつ造しなかった
バナキュラーな価値と共存する自律医師。
コンビビアルな方法
増田進
対話、じっと見守る
36年、対の交流
反-管理医療
楽しい地域医療論/村ではエイリアン
医療批判の位相
何が氏を沢内に引き留めたか?
行革以降...人と動き
村にとって医者とは?
村に必要とされる医療とは?マキシマム-ミニマムで
保健-医療に福祉が統合できない訳
第三世界、南の人々との交流、評価
本当の行政改革
公共性の構造転換
NGO
文化資本と場所設計
自分達で生命を守った村 菊地武雄 岩波新書68
荒廃する農村と医療 大牟羅良、菊地武雄 岩波新書71
沢内村奮戦記 共著 あけび書房83 ---沢内紹介本でまともなほう
地域医療の旗手 中里憲保 現代出版82
地域医療を始める人のために 増田進 医学書院89
村長ありき 及川和夫 あけび書房83 ---深沢晟男のほぼ信頼できる伝記。
回想斎藤アヤ 斎藤竜太編(個人出版)89
沢内村の医療史 泉川淳一 沢内村教育委員会76
沢内村史 沢内村教育委員会
癒しのトポス 立川昭二 しんしん堂85
---初章に学生時代の私との出会いが出ています。
見える死、見えない死 立川昭二 筑摩書房88
---学生時代終り頃の私との手紙のやりとりがちょっと書かれています。
生と死の現在 立川昭二 岩波書店95
---私の居た時点の沢内と私の拙論が紹介されています。